第7章:1983(昭和58)年(第1部)

57-11改正が終わって一段落した頃です。

特急もまばらな本数になってしまい非常に寂しくなりました。ひたちとあさまのみがかつての盛況ぶりを辛うじて保っている格好になっています。
57-11改正では東北・上越特急こそほとんどが廃止となったものの、急行については一部は整理されましたが新幹線大宮暫定開業を考慮してその大部分は残りました。

しかし57-11改正以降、上野駅でカメラを向ける人数は極端に減ったような感じがします。



57-11改正で高崎線急行の一部を特急に格上げして185系特急が新たに誕生しました。

谷川は急行ゆけむりの一部をL特急に格上げした列車です。
185系200番台はこの改正で特急運用が開始されたため165系との併結運用は消滅しましたが、高崎線の普電の一部に185系が入る運用は少数ながら残りました。
改正前は田町区183系7連で季節特急として走っていた特急白根は急行草津の一部を特急格上げし、L特急白根として生まれ変わりました。
急行時代と同様、水上行谷川との併結運転の形態は引継がれています。
こちらは急行あかぎの一部をを特急格上げした特急あかぎです。
下り2本・上り1本が設定され、谷川・白根と併結運用となっています。
残った前橋方面の急行はあかぎの名を取られたため、急行はるなに改称されました。

新前橋区185系のサロは6号車となっており、同区165系に揃えています。
57-11改正以降も白山は3往復のまま残りましたが、車両はボンネットと貫通形のみとなり、非貫通形は姿を見せなくなりました。

53-10改正で2サロ編成となりましたが、57-11改正ではサロは1両となって代わりに食堂車が復活しました。
上野駅で唯一のキハ58系急行となったときわ・奥久慈です。

水郡線直通の奥久慈号併結のため、2往復のみがキハ58系となっておりその他は451・453系を使用しています。
水戸配置のキハ58は比較的バリエーションが少なく、編成の一部に非冷房車が入る位でした。
57-11改正以前と同様、12連の堂々とした列車です。
こちらは57-11改正でも残った急行つくばねです。
東北線・水戸線(小山短絡線経由)で勝田へ向かう列車です。

7連でグリーン車を含め全車自由席でした。
どちらかというと結城・下館方面からのビジネス用という感じの列車です。
さて、57-11改正以降の東大宮操です。
115系が駐留するのは変わらないですが、改正で新たに583系が留置されるようになりました。
これと引換えに客車列車の留置場所は尾久に変更されています。

また、57-11改正で客車は旧形客車や20系に大量の余剰車が発生したため、東大宮操の奥に押し込むような形で多数が留置されました。
東北線の急行は輸送力が見直され、今まで長編成だった急行なすのは2往復が全区間7連となりました。
今まで長い列車しか見ていなかった私としては非常に新鮮でした。

今まで3・7連の運用だった新前橋区165系は改正で全て7連に統一されています。
従来全席指定だったそよかぜは改正で自由席が4両設定されましたが、編成内容は57-11改正前と同じであさまと共通運用です。
ですが改正前と同様、あさまの救済臨および季節特急という位置づけは変わりませんでした。
特急あいづも1往復のまま残りました。
車両は仙台のクロ481編成から秋田の485系9連に変更され、やまばと・つばさと共通運用となっています。

先頭車は全て非貫通1000番台となり、上野に姿を現すボンネットはひたち(12号車のみ)だけとなりました。
特急あさまも急行の一部が特急格上げされた関係で3往復増えました。

今まで189系新製車で揃えられていたのですが、改正で183系・485系からの改造車が連結されるようになり189系にバリエーションが発生しています。
485系から改造された189系500番台は改造時に車体修正の手が加えられ、外観は在来の189系に極力揃えられています。

隣の18番線も工事が終盤を迎え、使用開始が目前に迫っていました。18番線が完成すると19番線は廃止され、ほぼ現在のスタイルとなってしまいました。
57-11改正では急行の大部分が残ったため、急行形電車の間合い運用による各停運用も残りました。
画像は東北線574Mで折り返しなすの9号です。

165系の各停運用は高崎線よりも東北線に多数が設定されてました。全て14連で2両のサロは自由解放です。

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